保存会の組織的運営と後継者の積極的育成

高度経済成長期以来続いた村の過疎化は平成に入る頃には終わり、人口は増加に転じました。バブル経済期の地価高騰と環境重視の指向が強まる中、手ごろな価格の住宅と豊かな自然環境を求めて、都市住民が移り住むようになったのです。ササラスリにも、こうした住民の子どもたちが参加するようになりました。

平成9年(1997)には、保存会の中に役員会を設け、保存会が組織的に運営できる体制を作りました。増加してきた対外的な問題や後継者育成などに多くの意見を集約し、迅速に対応するためです。

獅子の舞方も、役者同士が相談して三匹の動きをそろえる努力が積み重ねられました。それは獅子の動き出しである出端に端的に表れています。

後継者育成について、笛方は平成10年(1998)から小学高学年以上の氏子ならば男女を問わないことになり、同年には小学6年生が加わり、平成11年(1999)には高校生の女子も参加しました。男子に早くから笛方を経験させて、獅子と笛の後継者育成を目指し、ササラを終えた女子にも、保存会への参加の道が開けたわけです。同年には、旧来の衣装から型紙を起こして獅子の衣装を新調しました。

12年(2000)9月に与野市の彩の国さいたま芸術劇場大ホールで開催された「第42回関東ブロック民俗芸能大会」に埼玉県を代表する民俗芸能として秩父屋台囃子とともに出演し、白刃を演じました。14年には、5月に名栗村で開催された「第53回埼玉県植樹祭」に、また10月にはさいたまスーパーアリーナで開催された彩の国パワーフェスティバル「埼玉県民700万人達成イベント」に出演し、共に白刃を披露しました。同年には獅子の太鼓も新調しました。

 

飯能市との合併と獅子舞

平成の大合併が進められる中、村は再び人口減少に転じました。自主財源も十分に確保できる可能性がないため、名栗村は平成16年(2004)12月31日をもって閉村し、17年1月1日からは飯能市に編入合併しました*33。名栗村大字下名栗は飯能市大字下名栗となったわけです。合併を記念して同年1月8日に開催された「飯能市・名栗村合併記念式典および祝賀会兼おめでとう飯能」に出演し、白刃の一部を演じ、好評を博しました。この獅子舞を見たことのない飯能市民にその迫力が大きな驚きを持って迎えられたのです。

また17年度末には、民俗芸能についてたいへん特徴ある活動を続けてきた埼玉県立民俗文化センターが県立博物館と統合することとなり、その最後の民俗芸能公演(第128回)「埼玉の民俗芸能」に、埼玉を代表する獅子舞として出演を依頼され、11月に白刃を上演しました。同年の例大祭は、環境省エコツーリズムモデル地区に選定された飯能名栗地区のエコツアーの一企画にも組み込まれ、以後継続して実施されています。

この頃にかけて、ササラの擦り方が戦後のものから変わっているとの指摘があり、平成20年(2008)頃、ササラの指導者2名がその頃の擦り方を知る下名栗地区内の女性に指導を受けに行きました。その女性の擦り方を参考に、体の正面で擦る現在の方法を、2、3年かけて定着させていきました。

平成21年(2009)度には、宝くじの社会貢献広報事業を行う財団法人自治総合センターから「コミュニティ助成事業」の支援を受け、獅子頭を塗り替え、ササラの花笠と衣装を新調しました。

 

後継者育成の成果と支援者の活躍

平成10年(1998)からはじまった笛方育成の結果、男女を問わず親笛を務められる若者が育っていきました。平成21年(2009)からは、小学生の時から笛を習い覚えた若者が次々に獅子を始めるようになりました。後継者育成の当初の目的が、10年以上を経て実ったことになります。笛についても、子どもたちを参加させた当初は高校生になるとやめてしまう者も多かったのですが、次第に高校生や大学生、成人になっても継続する者が増えてきました。高校生以上になりやる気がある者には、練習の時から積極的に親笛を任せる指導が功を奏しているように思えます。

万灯の花、ササラの花笠の花も傷みが激しくなったため、花づくりを依頼している方の指導の下、若い保存会員の保護者たちが毎年新しい花を作っています。

平成22年(2010)夏は記録的な猛暑の日が続きました。例大祭となった8月21日・22日(土・日)もたいへんな暑さで、熱中症対策に万全を期しました。翌週の29日には、奥多摩町大丹波・青木神社獅子舞の創始350年祭が開催され、伝承先である青梅市高水山の獅子舞と下名栗獅子舞が招待され、「三拍子」を続けて公演しました。約300年間にわたって積み上げられてきた3つの獅子舞の振り付け・演出の違いが明確に分かり、たいへん興味深い祭礼となりました。

同年の10月、当獅子舞を熱心に応援して下さる3名の合作によるウェブサイト『下名栗諏訪神社の獅子舞』が開設されました。ハンドルネームsizuku氏による平成18年(2006)の例大祭からつづくフォト&エッセイ「奥武蔵、獅子舞の夏」を発展させたサイトです。BBSやブログも置かれ、当獅子舞を内側と外側のまなざしで見つめ合う格好の場となりました。このサイトの開設によって保存会員の意欲が高まり、獅子に次々と新人が加わったことも重なって、2000年代の練習は、より熱のこもったものになりました。

 

東日本大震災後の保存会

平成23年(2011)3月11日、東日本大震災が発生しました。巨大地震と大津波、あわせて原発事故が重なり、大変な年となりました。当保存会では例大祭により高い技量の獅子舞を奉納することで、亡くなられた方々への鎮魂と、被災された地域の復興促進、さらに氏子を始め見学者の安寧を深く祈りました。

平成25年(2013)10月13日、埼玉県産業労働部観光課が主催する「第11回埼玉B級ご当地グルメ王決定戦in飯能」に出演を依頼され「白刃」を上演、翌26年(2014)6月22日には、飯能市名栗庁舎内に飯能市郷土館「名栗くらしの展示室」がオープンし、飯能市との合併10周年の記念イベントとしても位置づけられて、ここでは「御幣懸り」を上演しました。

平成26年(2014)の例大祭からは、子どもの減少に伴って男子にもササラを依頼することになりました。また、保存会員を夫に持つ妻や子どもが笛・ササラをつとめる母親たちが、まとまって笛を始めました。なかには子ども時代ササラをしたことのある下名栗出身の女性もいました。その結果、保存してあった揃いの浴衣の生地が不足するといううれしい事態につながり、現状のデザインから新たに型紙を起こし20着を染めました。

平成30年(2018)には、宝くじのコミュニティー助成事業により、傷みのひどくなった衣装の復元が実現しました。太刀遣いの浴衣2着、獅子の衣装上下4着、獅子水引布6枚を、麻生地への藍染めによる復元です。その過程で氏子会や保存会の役員が、八王子市にある染物店に型染めの実態を見学に行きました。これら衣装は同年度末に完成しましたが、藍を繊維に定着させるため令和元年(2019)は利用しないことになりました。いよいよ着用しようとした令和2年(2020)は次に記すコロナ禍となり、結局3年間着用を待つことになってしまいます。

 

コロナ禍と獅子舞奉納

令和元年(2019)12月に始まる新型コロナウィルス感染症(COVID-19)によるコロナ禍は、下名栗の獅子舞にも大きな影響をもたらしました。

コロナ禍最初の夏に当たる令和2年(2020)8月の例大祭では、獅子舞の奉納を中止せざるを得ませんでした。そのかわり屋外での練習なら安全性が高いと判断し、8月の日曜日ごとに全体で昼稽古を重ね、揃いの日の8月22日(土)午後、かぶり物、衣装は着けずに境内で通し稽古をして、この年の奉納の代わりにしました。その役割帳は残してあります。例大祭の23日(日)は、獅子頭だけを社務所に飾りました。獅子舞の中止は記録に残る明治27年(1894)以降はじめての事態です。

翌令和3年(2021)の夏は、より重症化リスクの高いタイプのCOVID-19が流行していました。そのため、8月1日の稽古始めに保存会員を集めたものの、境内にて保存会長から例大祭での奉納はもちろん練習もしない旨連絡して、獅子舞のない8月になってしまいました。2年連続で奉納獅子舞ができなかったわけです。しかし、同年秋に埼玉県県民生活部文化振興課から、コロナ禍で活動自粛を余儀なくされた文化活動を応援する「埼玉WABI SABI大祭典」にお誘いがありました。練習を重ね、11月21日(日)にさいたま市大宮公園の特設ステージで「御幣懸り」を演じました。久しぶりとなる当獅子舞の上演でした。

同じく令和3年(2021)度、文化庁の補正予算、コロナ禍により存続が危ぶまれる伝統行事・民俗芸能の継続を支援するための地域文化財総合活用推進事業に、飯能市の複数の民俗芸能団体と共同で応募しました。当保存会では4年7月に念願であった白刃で使う刀(長脇指)2振を新調することができました。従来の刀は研ぎ減りや錆による劣化が進み、利用が危険な状態でした。恐らく19世紀初めに当獅子舞開始以来約200年間利用してきた刀でした。使わなくなった2振の長脇指は、令和6年(2024)7月に飯能市立博物館に寄贈することがかないました。長期にわたり地域にとっても重要な獅子舞で使用されてきた民俗資料として評価されたためでしょう。その際2つの隠居獅子も寄贈しました。

獅子舞は令和4年(2022)の例大祭から2日にわたり奉納が可能となりました。氏子と保存会、ならびに保存会の中でも議論した上で、一般観客は制限しての開催でした。この年保存会のホームページ『公式 下名栗諏訪神社の獅子舞』を開設しました。

翌令和5年(2023)の例大祭からは、3年ぶりに通常通りの開催に至りました。同年度から飯能市の山間地域振興支援事業補助金を得て4Kのハンディカメラ2台を購入し、様々な行事の動画記録を撮りためました。YouTubeチャンネル『公式 下名栗諏訪神社獅子舞保存会』も開設しました。ここには同年の例大祭獅子舞のフル動画をアップロードしてあります。同年には宝くじコミュニティー助成事業からの支援をいただくことができました。傷みの目立つ獅子の衣装につき上下5着を復元し、祭礼の音を地区内に流すための音響設備としてアンプ2台、スピーカー4台を購入しました。